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東京都葛飾区の歴史
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所在地 葛飾区金町浄水場1-1

  金町浄水場・取水塔
 大正15年(1926)の開設。平成4年(1992)には高度上水処理施設が導入されました。有名なとんがり帽子の取水塔は昭和16年(1941)に作られた第2取水塔です。創設時の第1取水塔h第3取水塔〔昭和39年(1964)〕が作られた後、解体。
  葛飾区
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所在地 葛飾区高砂5-5-2

  観蔵寺(柴又七福神  寿老人



 当山は、文明元年(1469)の開創であるが、永禄7年(1564)国府台合戦により焼失し、承応2年(1653)、法印隆教が再興する。
 寿老人は、七福神の第一におかれる長命の神で、寿福を司どる神様である。日本では室町時代より信仰が盛んである。
 葛飾区  葛飾区観光協会



所在地 葛飾区柴又3-33-13

  良観寺(柴又七福神  宝袋尊



 当山の宝袋尊は、江戸時代初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かしたが、民家と思ったのは大木のうろの中で、驚いてうろの中を見渡すと布袋尊がおられた。尊像を店に持ち帰りお祀りしたところ、商いは大いに繁盛した。この御利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、宝袋尊と称して当良観寺に奉納せられるに至った。
 葛飾区  葛飾区観光協会



所在地 葛飾区柴又5-9-18

  宝生院(柴又七福神  大黒天

 米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。当寺に安置する大黒天は、将軍家にも信仰が深く、大きな袋と打ち出の小槌で、多くの人々を救済する「出世財福」の御利益で有名である。
 *頭光のある火焔、光背を負った不動明王像が透彫してある「寺宝金銅播残欠」は、葛飾区文化財に指定されている。
 葛飾区  葛飾区観光協会



所在地 葛飾区柴又5-13-6

真言宗
 薬王山 瑠璃光院 医王寺



  医王寺(柴又七福神  恵比寿天

 中興祖源珍僧都という御方が宗祖弘法大師の足跡を巡行中、村人より一体の恵比寿天を戴かれ、山中に安置し香華供物を供え21日間の御修行をすると、川底より砂金を掬い上げた。後に恵比寿天を礼拝すれば商人は金銭意の如く集まると唱え、多くの世人に広めた。当山代々住職は、その偉業を尊び伝承し今日に至らしめたものである。
 葛飾区  葛飾区観光協会



  医王寺由来
 応永14年(1407)7月7日時の将軍足利義満公が、奇病(赤目病)が下総国一円に発生し住民が全滅の危機にさらされているのを聞きおよび、時の後小松天皇に悪病退散の祈願寺の建立を上奏し、京都仁和寺の僧観見和尚に薬師瑠璃光如来を奉持させ、柴又村の当地に建立したものである。
 赤目病とは、両目が最初充血し、悪化するにつれ「目やに」が出てやがて瞳が白く濁り「下まぶた」が垂れ下り赤くはれ上がり、最後には失明してしまう恐ろしい奇病で原因は不明であったと云う。当時の目の病いに苦しむ村人たち、近郷近在より参詣に訪れたと聞く。此の奇病にかかった村人が昭和20年(1945)頃を最後に、以後赤目病患者は当地より消えたのである。
 当山では、境内より湧き出る清水(現存しない)と御符と茶目薬を室町時代より昭和中期まで眼病祈祷礼と共に出していたが、終戦後薬事法の定めにより今は出していない。だが現在でも、眼病を護る仏として参詣に人々が訪れている。

 

1、開山 応承14年(1407)7月7日。
1、開山上人 大僧正 観見(仁和寺の僧)
1、安置仏 本尊薬師瑠璃光如来(木造一刀彫 伝弘法大師作 三体明烏との伝えあり)
1、前立本尊薬師如来(江戸時代明暦2年〔1656〕 大仏師 加藤匠)
1、福徳恵比寿天(現尊像の腹仏として、天文年間の作と思われ、三寸五分の尊体が納められている。作者不明)
1、地蔵観音菩薩(徳川初期の作と云われる。作者不明 平成元年(1989)京仏師 大仏師松本明慶師により修復)
1、金仏不動明王勢至菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、阿弥陀如来、大日如来(木造金箔塗)
仁王山門鐘楼 平成4年(1992)11月完成 木曽檜作り(大和田儀己工匠)
仁王像 2体 京仏師 大仏師松本明慶師作


所在地 葛飾区柴又6-17-20

  万福寺(柴又七福神  福禄寿

 短身長頭で白い髯の福禄寿は、中国の神様で、難極老人星の化身。
 福は幸福、禄は高禄、寿は長寿の三徳を兼ねた神様。
 当山安置の福禄寿は、年代不明であるが、宍戸家に伝えられた家宝仏であったものを奉納され、以来当山に祀られている。
 葛飾区  葛飾区観光協会



所在地 葛飾区柴又7-5-28

  真勝院(柴又七福神  弁財天

 当寺の弁財天は、金光明経に表されている八臂像の仏像で七福神中唯一の女神です。インドの経典に出てくる、河川を神格化された水の神様で、五穀豊穣の神様。さらに、河の流れを言葉に置きかえると詩・学問・芸能の神様でもある。
 当山の弁財天の由来・年代等は不明であるが、弁天供養に使われれる六器(仏具)が保存されていることから、古くから近郷近在の人々より信仰されていたものとおもわれる。
 葛飾区  葛飾区観光協会



 境内には『五智如来石像』があります。

 


所在地 葛飾区柴又7-5-28 (真勝院)

葛飾区指定有形文化財
 五智如来石像
     昭和54年(1979)3月6日指定

 密教では大日如来の知恵を5つにわけ、これに五仏をあて五智如来といいます。真言の行者は、発心修行の結果、この五智を得ることができるといわれています。このごり如来石像は、造立碑から万治3年(1660)柴又村の名主済藤次良衛門と、相模伊勢原村の鳥居九良左右衛門等により、逆修供養(生前自分の死後の冥福を祈って仏事を営むこと)のために建てられたものです。
 向かって右から阿閦如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の順に並び、中央の宝冠を戴く大日如来を、真言宗では最高の仏として寺院の本尊としています。
 葛飾区教育委員会


所在地 葛飾区東新小岩8-6-20

  天祖神社




                      (写真左)稲荷神社 (写真右) 浅間神社


                      (写真左)多賀神社 (写真右) 道祖神社


所在地 葛飾区新小岩4-21-6

 於玉稲荷神社
御祭神は、稲荷大神と称えられる倉稲魂命(うがのみたまのみこと)で、伊勢の外宮(とようけのかみ)と御同神であります。

 「稲荷」とは、天地の霊を象徴し、古来より食物の神、即ち五穀豊穣の神として広く崇敬されてきました。時代とともに産業興隆や商売繁昌、さらに家内安全、交通安全や、芸能上達などのご利益もあるとされ、広く人々の信仰を集めております。
 当地「小松の里」は、むかし将軍様の鷹狩りの地として知られています。古地図で見ると、この地に「おたまいなり」の所在が記されていますが、古くは御分社でありました。当神社は、このゆかりの社に、安政2年(1855)の大震災で焼失した神田お玉ヶ池の御本社を明治4年(1871)に移したものであります。
 お玉ヶ池の稲荷神社の沿革については、「新撰東京名所図会」神前之部所引の於玉稲荷大神の由来」に述べられているように長禄元年(1457)太田道灌の崇敬をはじめ、寛政元年(1789)足利将軍義政公の祈願、さらには文禄4年(1595)伊達政宗公の参詣等が記されております。






















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